パルコ劇場 2012/7/2(月) 19:00時
パルコプロヂュース
翻案・演出 三谷幸喜
三谷幸喜がチェ-ホフの「桜の園」を翻案し、喜劇として演出したもの
(感 想) 日本では滅び行く貴族階級の悲劇、という重いイメージで演じられることの多いこの演目を、チェーホフが「四幕の喜劇」と明記した通り、あくまで喜劇として演出しようと三谷が取り組んだ作品。三谷幸喜がどんなかたちで喜劇「桜の園」を演出するか?、興味が沸き観劇。
チェーホフが喜劇と言ったのは何をさしてか? ①農奴解放令の出された20世紀初めの南ロシアで、特権階級のラネーフスカヤ夫人、その兄ガーエフら時代にとり残されようとしている人物たちが、時代の変化を理解できず、相変わらず、”とんちんかん”な生活を送っているところか? それとも、②人間とはどんな深刻な状況でもどこか、おかしく、哀しいと言った人間が本質的に持っている滑稽さか? はたまた、③吉本新喜劇的なドタバタ劇として「桜の園」描いたのか? それでは、三谷はどんな喜劇として演出しようとしたのだろうか?
①だったのか? 藤木孝の演じたガーエフはなるほど、いい”とんちんかん”ぶりであったが、そのほかの貴族階級の者達が、自らの置かれている状況を分かっていないような”とんちんかん”ぶりを表現し切れて いたかといえば、極めて不十分だったのではないか?
それでは、②か? これは残念ながらラネーフスカヤ夫人を演じた浅丘ルリ子一人が気を吐いていた、彼女の存在感は流石だと思ったが、もし、彼女がいなければこの芝居から、人間の本質的な滑稽さは表現されなかっただろ。
最後に③はどうだっただろうか? これは藤井隆・青木さやかが芸人としてドタバタ感を出していたように思うが、残念ながら、全体からは浮いていたように思う。 三谷は芝居全体を吉本新喜劇にするつもりは無かったのだろう。
こうして全体を見てみると、喜劇としていろいろな要素を詰めようとチャレンジしたところは良く分かるが、チェーホフは流石に手ごわく、消化不良だったか?との印象を免れ得ない。抱腹絶倒の爆笑の渦・どこからともなく沸き起こる笑いのさざ波を期待したむきには残念な結果であったように思う。
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