銀河劇場 2013/2/9(土) 18:00~
作:ロナルド・ハーウッド 演出:行定 勲
平 幹二郎 筧 利夫 福田沙紀 小島 聖 小林 隆 鈴木亮平
ドイツにおける第二次大戦後の非ナチ化審査の中で指揮者「フルトヴェングラー」に対して行われた審査の過程を脚本化したもの
( 感 想 ) 第二次大戦後、ドイツでは非ナチ化と呼ばれる連合国(特にアメリカ)の占領政策がとられていたが、
特に、戦前ナチに協力したものを容疑者として召喚し、審査を行い、結果により公職追放や罰金刑を科していた。
指揮者フルトヴェングラーは、ナチ党大会で指揮したことなどから、アメリカ側から「ナチの指揮者」とのレッテルを貼られ、
そのため、非ナチ化審査は長引き、嫌疑が晴れたのちも、長く社会的活動は制限されていた、この間の審査の過程を、
「戦場のピアニスト」等の映画の脚本で有名なロナルド・ハーウッドが戯曲として書き下ろしたのが本作。演出も
『世界の中心で、愛を叫ぶ』等で有名な「行定 勲」という、映画と舞台をクロスオーバーさせるような作品。
テーマは正に「正義」とは?であろう。 ナチ政権下のドイツで、人命を最も重いと考える正義、芸術を守るために犠牲も
やむなしと考える正義、他人を裏切っても、自ら生き延びる正義・・・・劇中では、それぞれの考える正義をあぶりだす、平=
フルトヴェングラーが「君はどういう生き方をしようとしているのか?」と筧=アーノルド少佐に問いかけるシーンがあるが、
これが正しく、この芝居のテーマなのであろう。
芝居全体としては、筧アーノルド少佐が速射砲のような質問と自説を展開していくが、どちらかと言えば最近の筧のテレビ
番組での役作りに近く、全体的にこの重々しい芝居を若干軽いものに見せてしまうのは、残念である。前述の通り、どちらの
側をとること(テイキングサイド)が良いわけではない(分からない)というのが、この芝居のスタンスであろうと思うが、
筧のいささか軽薄に見せる演技がこの対立関係を壊してしまい、芝居の後半に至るまで、筧を悪者=無理やりフルト
ヴェングラーをナチ協力者に仕立てていくように見せてしまう、また、同時に前半を退屈な芝居にしてしまっている。
残念だが、ミスキャスト?かと思ってしまう。他の役者陣は全体として素晴らしい、平は重々しく自らを語り、その言葉に
引き込まれていく。タマーラ・ザックスを演じた小島の「どうしたら真実が見つけられるんですか?そんなもんありません。
誰の真実ですか?勝った者?負けた者?」このセリフには鬼気迫るリアリティがあり、本当に素晴らしかった。
全体としては、後半は良いが前半は退屈といったところか? 事実、私の隣の人は前半で帰ってしまった。
これだけ、有名なキャストを配した芝居であるにも関わらず、客席の入りは今一つ、同じように芸術に対して2人が語り合う
「ホロヴィッツとの対話」が完売していることを考えると、顧客の嗜好はどこにあるのか? 舞台ビジネスのプロモーションの
難しさを感じてしまいます。
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